後陽成上皇
株式会社キクザワは、先代社長の西村脩一が、1972年(昭和47年)6月7日に設立した会社です。
現在はその息子である西村宜浩を社長として、企画・デザイン会社を営んでいます。
実は、前身は「菊澤商店」といいました。
遡ること、401年前、1613年慶長18年癸丑、菊澤藤蔵に後陽成上皇より京暦発行の院宣が下り、院御経師となりました。
京暦とは、今で言う、カレンダーですが、色濃く残っているものとしては、年末に本屋に売っている、高島暦・三嶋暦など吉兆占いの書かれた小さい冊子のようなものがそれにあたります。
暦は、その当時の人々にとって、冠婚葬祭・日々の生活や仕事・年間行事・ことの吉兆等、あらゆる物事の指針であり、とても重要なものだった様です。
京暦 慶応4年
京暦 慶応5年
晴明神社
江戸時代には、安部晴明の末裔である幸徳井家が注釈を入れ、京都の版元である菊澤藤蔵に送られ印刷されたそうです。
人形浄瑠璃、歌舞伎の作者、「近松門左衛門」の『大経師昔暦 おさん、茂兵衛』は、実話をもとに脚色してつくられたものですが、そこに、「菊澤藤蔵」が登場しているそうです。
映画にもなっています。
「菊澤藤蔵」という名前の襲名は、1930年昭和5年に亡くなられた方で最後になりましたが、養女が菊澤姓を継ぎ、屋号は当時の番頭の西村平三郎が継ぎました。
今の社長の、おじいちゃんです。
明治5年に政府が突然太陽暦改暦の詔を出し、それによって大損失を受けたと記録があるので、そのあたりから徐々に廃れていったのだと思います。
今の社長の幼少の頃は、「紙屋」だったそうで、後に文房具も扱うようになり、現在の企画・デザイン会社になりました。
今は使用していませんが、丸に院と染め抜かれた暖簾が残っています。
(院御経師のしるし)
「丸に院」と、染め抜かれた暖簾
京都市中京区の本能寺にある古いお墓には、
法春院 建立 宝暦6年 丙子(1756年)、施主 菊澤藤蔵と彫られています。
1756年といえば、モーツアルトの生まれた年ですね。
本能寺に何か記録がありませんかと問い合せたところ、何度も火事になり移転もしているので、記録がないそうです。
とても残念です。
本能寺
本能寺 現在、残っているお墓